ツッコミ主導漫才と、ツッコミのコピー化について。
わたし、元気じゃありません。
元気じゃないので、元気を出そうと思い今日は大好きな漫才について書こうと思う。
M-1から早1週間が経とうとしている。
毎年恒例の年末のお祭り。
僕にとっては3回戦くらいからのチェックがライフワークとなる、最高のコンテンツである。
あのコンビが面白かったとか、あの審査員がどうだったとかはどこにでも書いてあるし、圧倒的に主観で
出てないやつがごちゃごちゃ言うなって感じなので、
ここに残すのは2018年の漫才全体感である。
(そっちの方がごちゃごちゃ言っている)
今年の霜降り明星優勝が示すのは、
ツッコミ主導漫才の時代が完成した
ということだと思っている。
ボケている時に笑いは起きず、何が起きているんだろうと思っているところに
ツッコミが来てドカン!
この構図の漫才を僕はツッコミ主導漫才と呼んでいる。
巨人師匠はこの漫才を新時代型と評していたが、この戦い方で結果を残していた第一人者といえば南海キャンディーズだろう。
しずちゃんが何しているかわからない中で、
山ちゃんのツッコミワードセンスで笑いをとっていくそのスタイルは、初めて見たとき腹を抱えて笑った。
山ちゃんもM-1後1発目のラジオで、このスタイルで優勝されちゃうと嫉妬しちゃうから本気でジャルジャルを応援してたと言っていた。
山ちゃんのお笑い批評は本当に参考になる。
山ちゃんは、霜降り明星くらいのスピードが本当は欲しかった。南海キャンディーズの理想形かも。と言っていたけど、僕は霜降り明星粗品のツッコミはワードセンスとスピードとは別の新しさがあると思っている。
それは、ツッコミのコピー化である。
ツッコミが会話と切り離されているといえば分かりやすいだろうか。
せいやとのやり取りではない。
せいやのボケがすっと腹落ちする最高の言葉をチョイスして、ボケを説明してくれる。
そのツッコミは、1回違和感を抱いた後、この気持ちだったのか!と感情を導いてくれるキャッチコピーと同じ役割である。
〇〇か!と粗品なツッコまない。
単語をツッコミとして利用しているのだ。
キッズダンサーの笑顔!
みたいにね。
この説明するスタイルが見取り図の好評でナイツ塙が言っていた、3Dの漫才つまり、2人のやり取りだけで終わらない漫才ってことなんだろうと思う。
そんな評価を受けた見取り図のように、
ツッコミ主導漫才は今年沢山出ていた。
(僕は見取り図ももちろん大好きである)
霜降り明星、見取り図、ギャロップ、スーパーマラドーナ(今回のネタは違うスタイルだった)
決勝に来れなかったところでいうと、東京ホテイソンもそうである。
これだけのツッコミ主導漫才が結果を残しているところから時代の到来を感じるし、
霜降り明星のツッコミのコピー化によってその時代の完成を感じている。
2代目王者ますだおかだ増田がラジオでM-1の話をしていて、やはり粗品のツッコミを褒めていたのだが、
その中でとっても最高な話があった。
でも、ツッコミを変えたのもダウンタウンの浜田さんですからね。
ダウンタウンのブレインはまっちゃんである。
これはれっきとした事実。
でも、浜ちゃんのツッコミにみんな新しさを感じたし、大好きだったし、ツッコミも人気モノになれたんだとか。
ああ、偉大なるダウンタウン。
M-1の審査員紹介で、2009年あたりまでまっちゃんの時に使われていた
漫才はこの男以前と、この男以後に分かれる。
という紹介が大好きだった。
ダウンタウンはツッコミの概念も変えてくれていた。
千原ジュニアはコンビのパワーバランスが5:5のコンビをいつも評価する。
奥が深すぎて一生の趣味になるぜ漫才。
今年も沢山の素晴らしいネタをありがとう。
芸人さんが命を削って作るネタ。命を削って笑いを作っていること。削っていることを絶対に外に見せないこと。
僕が最も尊敬する職業はいつも芸人さんである。
最後に今年最高に面白かった粗品のツッコミをご紹介。
オーロラツーステインクリア!!!
ほら、元気が出てきた。