おちこんだりもしたけれど、

こころの整理の為と、忘れてしまわない為に。

いのちのはなし?

私は死にそうでした。

 

今回も怒涛に走り抜けた。

ひと段落して、16時に食べた朝ごはんを兼ねた遅めの昼ごはん。

ずっと行ってみたかったお店のチャーハンを食べながら、ちょっと泣いた。

 

最近は隔週くらいでくるこの恐ろしい忙しさに押しつぶされそうになる。

 

今まででこんなに追い込まれていたのはいつだっただろうとチャーハンを食べながら考える。

 

やっぱり、大学3年。

サークルの代表を務めた1年だなと思う。

 

今では本当にやっていたのとか?

昔はイケイケだったんだねえっていうネタに昇華されてしまったけれど、

あの頃の僕にとっては本当にそれが全てだった。

 

500人の大学生活を背負っている。

大げさにもそんな想いだった。

 

このサークルの居心地のよさが、みんなの生活を大きく変えるという重圧は想像以上で、僕はとても痩せていたし、ちょっと禿げた。

 

やって良かったとは思うけど、もう一度はやりたくない。そんな人生にいくつかある大切なものの1つとなっている。

 

そんな生活を誰よりも心配していたのはやっぱり母で、たくさんの迷惑をかけた。

2日間3公演の公演には違う人を連れて3公演きた。3回泣いた様だった。

 

でも、幹事長になった僕をみた母はどこか誇らしそうだったのを覚えている。

 

その理由を僕は知っていた。

中学の生徒会長になった時の話である。

 

僕は受験を頑張る予定だったから、生徒会長とかはやらない方がいいと家族から言われていた。

 

でも、周囲の押しに負け立候補してしまった僕。

そんな僕を一通りしかった母は、

 

「あなたのお父さんも、周りにリーダーにされる人だった。お兄ちゃんもそうだけど、あなたにもその血が流れているのね。」

 

と言った。

その言葉があったから僕は生徒会長はもちろん、巨大サークルの代表を務められたんだと思う。

 

 

僕の中でお父さんが生きている。

 

そんなことを感じた瞬間を忘れられない。

僕が生きることは、短くも濃くて優しい人生を生きたお父さんが生きることだなのだ。

 

それだけで僕は立ち上がることができる。

 

ああ、また家族の話をしてしまった。

ちょっと後悔しつつ、それでいいかと思う自分が8割。

 

だって僕には生きることや死ぬことや、家族やいのちの話が他の人に比べてとても近くにあったから。

 

もう会えないからこそ僕の中で濃くお父さんが生きている。